院長プロフィール
私、稲田 展久(いなだ のぶひさ)について
健康なお口を通じて、
美味しいものを何でも食べることができる
充実した生涯のお手伝いをしていきたいと思っています。
経歴
地元松原市三宅で生まれ育った1月12日生まれ
・三宅小学校卒
・松原第四中学校卒
・大阪貿易学院高校卒(今の開明高校)
・朝日大学歯学部卒
1998年:
大阪歯科大学臨床研修科にて研修
1999年~2011年4月:
大阪府下の岸和田・本町・上本町・吹田で勤務医
2011年6月:
いなだ歯科開設~現在に至る
趣味
- スキー
- ドライブ
- 桜と紅葉の京都観光
- 美味しい物や甘味処探
私をより知っていただくために
子供の頃〜歯科医師になるまで
生まれてから小学校に入るまで
地元の松原市三宅で誕生し、4人兄弟姉妹の長男として育ちました。
小さな頃は実家が兼業農家だったこともあり田んぼや畑で手伝いをしながらノビノビと育ちました。
小学生時代
ピアノ、習字、水泳、カブスカウト等いろんな事に挑戦しました。
また、この頃にお世話になったS先生&T先生のおかげで勉強の楽しさを教えていただきました。
S先生とは今でも年賀状のやりとりをさせていただいておりますし、T先生は僕が開業した年の松原市歯科医師会の50周年総会に松原市の教育長としてお目にかかることができました。
中学時代
小学生時代に勉強する楽しさを教えていただいたのに、この頃はあまり勉強しなくてもそこそこの成績をとれていたことにあぐらをかいて勉強しませんでした。
おかげで受験するときにはズルズルと成績が下がり当初希望していた高校に受験もできませんでした。
高校時代
ここで大きな挫折を味わいました。勉強していない自分は当然のことながらどんどん成績が下がり学年でも下から数えた方が早い順位になっていきました。それを見かねた両親が家庭教師をつけてくれたので成績は回復し、2年のクラス替えの時には理系のクラスに進めました。しかし、だんだんと家庭教師の先生が教えてくれることがプレッシャーになってか高校を休みがちになりとうとう登校拒否になってしまいました。おかげで高校2年生を2回いくことになり、4年かけて高校を卒業しました。
登校拒否から順調に回復したのではなく2回目の2年生の時にもなかなかすんなりと行けず休みがちになりました。
たまたま電車の帰りに一緒の電車になった同級生が声をかけてくれて仲良くさせてもらいその友達にずいぶんと救われました。その友達とは大学生、社会人になってもずっといい付き合いをさせていただいています。
登校拒否になって分かったのは普通の人が何でこんな事が出来ないのか?と思われる事でも心に大きな壁が立ちはだかり出来ないというものでした。そんなおかげか初めてお会いした方にはよく年齢の割に落ち着いているといわれました。
大学進学に関しては、母の親友の息子さんが歯学部に進んだと聞いたのがきっかけで歯学部を受験し、合格しました。試験では、ラッキーなことがおこりました!なんと高校の英語の授業でした模擬テストの長文とまったく同じ長文が出たのです!!質問は違いましたがなにか運命的なものを感じさせられました。
大学時代
大学時代は以前から興味のあった弓道部に入部しました。入った頃の弓道部は東海リーグで最下位の5部に所属していましたが同級生で入った仲間達とどうやったら上手くなれるか?試合で勝てるようになるか?といった事を考えながら卒業前にはなんとか3部にまで昇格させる事ができました!東海リーグで的(マト)に矢が当たる的中率といったもので上位5校に入り全日本に出場出来るところまでがんばりました!
6年間の大学生活の内、5年生の後期から始まった病院実習では過去にこんなに勉強したことが無い程勉強しました。(高校生時代にこんなに勉強していたら何処でも行けたんじゃないかと思うほどに)そして、歯科医師国家試験に合格しました。
歯科医師になって
卒業後は地元の大阪で大阪歯科大学、岸和田、本町、上本町、吹田といろんな地域、環境を考えて働きました。
本町の歯科医院では多くの勉強会に参加させていただきました。
勉強会の先生には、今も色々とお世話になっています。
開業前に最後にお世話になった吹田の歯科医院では診療技術以外にも、患者様への応対方法やスタッフと一体となった医院づくりなど本当に勉強させていただきました。
その当時は技術的な勉強しかしていなく、月に6~9日は診療後や休日に勉強にいっていましたがそれだけではダメだと痛感いたしました。今でもときどきその医院の研修に参加させていただいています。
開業してから
それまでのいろいろな知識や経験を生かして『ここに来て良かった。ここで働いて良かった。こんな医院にできて良かった。』と、患者様&スタッフ&自分自身の3者にとってすばらしい医院を作っていきたいと思っています。
まだまだこれからですがこの3者にとってすばらしい医院づくりを目指して『健康なお口をつうじて美味しい物を何でも食べることができる、充実した生涯のお手伝いをしていきたい』と思っています。